春日左衛門~春日左衛門~弘化2年(1845)~明治2年(1869)5月16日(諸説あり) 幕臣彰義隊頭並。陸軍隊隊長。 第三列士満第一大隊隊長・元彰義隊第二黄隊隊長。25歳 武蔵国出身。 慶応4年(1868)彰義隊の頭並となり5月、上野戦争に参加。 のち蝦夷地へ渡る 箱館政府では歩兵頭並、陸軍隊隊長。 鷲ノ木浜上陸時は土方隊で海沿いの間道を行くが、新選組野村と先陣争いで揉める。 五稜郭入城後榎本武揚にまで野村の非を直訴するがどちらもお咎め無でおわる。 蝦夷地平定後は遊撃隊とともに松前を守備 いつのことだか定かではないが新選組田村銀之助を養子にする。 明治2年5月11日、箱館総攻撃で負傷して五稜郭内に運ばれ、銀之助が付き添う。 このとき木古内で負傷の伊庭八郎も一緒にいたらしい。 そして翌12日(16日説もあり)伊庭クンとともにモルヒネを飲んで自害。 五稜郭内に葬られたが明治の世に遺族が引き取ったとも。 円通寺 「死節之墓」に合祀されている。 春日さんは 「容貌美麗にして尤も強気あり」 といわれた方。牡丹人とも。 どれだけ美男だったんだ?あ?土方さんよりもかぁ? っと突っ込みたくなるような言われようですな。 写真がないのが残念でもあり、安心した様でもあり…。 ジャンル別一覧
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